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読書録

nikkogekko.exblog.jp

『峡に忍ぶ』 秩父の女流俳人、馬場移公子 藤原書店3800円  中嶋鬼谷


本書は大きく分けると二部構成になっています。

序に代えて・・・峡に詠うープロローグ 金子兜太 

第一部 馬場移公子の作品

「馬酔木」に投句された作品、
第一句集『峡の音』・第二句集『峡の雲』(完全収録)
自選句及び晩年の百句(鬼谷抄出)・随筆

第二部 馬場移公子論
桂信子・楠本憲吉・福永耕二・野沢節子・林翔・ほんだゆきによる評論
〈座談会〉馬酔木作家論(抜粋・要約)堀口星眠・大島民郎・千代田葛彦・岡田貞峰・
古賀まり子・鳥越すみ子・澤田弦四郎・富岡掬池路・市村究一郎
馬場移公子追悼文集

跋に代えて・・・馬場移公子さん、やっとお逢い出来ました 黒田杏子

資料集・・・歳時記所収の移公子の俳句・馬場移公子年譜・参考文献

峡に忍ぶーエピローグ・・・・中嶋鬼谷


資料一切が網羅されていますので、秩父の女流俳人がどのようにして俳句と出会ったのか、第一句集・第二句集がどのようにして生まれていったのか・・・などなどいろいろな角度から読み深めることができます。

著者の中嶋鬼谷は

「『忍ぶ』とは、『耐える』という受け身の消極的な生き方ではない。また『隠栖』とも違う。『忍ぶ』とは俳人にとって、詩魂を、命を育むように懐深く抱いて生きること、無欲無私に至ろうとして心を砕いて生きること、心を透明にし、遥かなものに思いを馳せて生きることである」

と結んでいます。
# by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2013-12-29 17:06

『評伝 三橋敏雄』 沖積舎7140円  遠山陽子

著者は2003年より三橋敏雄研究の季刊個人誌「弦(げん)」を創刊発行しました。9年の歳月をかけてその成果を、『評伝 三橋敏雄ーしたたかなダンディズム』として600ページにあまる大著にまとめました。作品発行の詳細な記録をたどり、敏雄の句のありかたとその人格をみごとに描きだしたものとして高く評価されています。
第4回桂信子賞を受賞しています。

三橋敏雄は15歳で神保町にある東京堂に就職し、文芸活動に関わるようになります。「三橋よ、お前は俳句をやれ」ほとんど命令のように寄宿舎の先輩である渡邊保夫から声がかかりました。
処女作は〈窓越しに四角な空の五月晴〉。
当時、神田附近は新興俳句のメッカでした。水原秋桜子・高屋秋窓・石田波郷・西東三鬼・三谷昭・石橋辰之助・渡辺白泉・西島麦南・・・名だたる作家があつまっていました。

以後、66年結社を持たずに新興俳句を師とし、古典に深く通じ、妥協を許さぬ孤高の精神をもって活動しました。

著者は三橋敏雄の作品と人生に寄り添いながら、彼が希求してやまなかった俳句のあるべき姿を丁寧に描きだしていきます。抑揚の効いた簡潔な文体ですが、核心に迫るところは熱く語られています。

第一章 武蔵の国八王子
第二章 東京堂時代
第三章 戦争
第四章 航海時代
第五章 平河会館時代
第六章 退職後
第七章 小田原時代

以上の章立てになっています。
編年体の構成になっていて、冒頭の年表で米一俵の価格や社会的な事件、俳壇・文壇の動向がわかるようになっています。

三橋敏雄は平成元年6月、蛇笏賞を受賞しています。
以下は「俳句」平成元年7月号に掲載された受賞の言葉です。

有季の世界、無季の世界    三橋敏雄
 

後載の〈略歴〉の冒頭にも記したように、私の俳句の出自はかつて新興俳句である。その上にも昭和十年の当時、先輩たちが鼓吹してやまなかった、無季俳句の実践から句作の道に入った。だから、いわゆる季を捨てて無季に走ったのではない。初めから無季俳句に自己表現をかけたわけである。そういう私に対して、それより先に「ホトトギス」の万年落選を経て投句をやめていた父は次のように論し、一応の見識を示した。〈俳句をやるなら「ホトトギス」か「雲母」にかぎる、自由律なら「層雲」〉と。新興無季俳句には賛成ではなかったのだ。
始めてはみたが無季俳句は難しかった。やがて、並行して有季俳句の実作を試みるうち、季の詞のもつ喚起力の重要性を知った。すぐれた季の詞は、それ自体が一箇の表現として自立している。ひいてはこれを軽々しく使うことは勿体ないと思うまでになった。
 しかし、顧みるまでもなく私は、いまだに無季の世界への魅力をおさえきれずにいる。いわゆる有季定型のみを俳句であると信奉する人たちにとって、私は異端者だろう。にも拘わらず、このたびのことは、どうした風の吹きまわしかと思う。選考に当たられた四先生も悩まれたにちがいない。いまは、前記の私の亡父の言葉にもあった「雲母」の、偉大な前主宰、故飯田蛇笏翁の芳名に冠する本賞を拝受して、感概なしとしない。有難く厚く御礼申しあげる。」

蛇笏賞の選考委員は飯田龍太、金子兜太、藤田湘子、細見綾子の四氏でした。

平成二年7月、毎日新聞に4回にわたる連載「私の俳句作法」を寄稿しています。

第1回「俳句の定義」
第2回「花鳥諷詠詩」
第3回「子規に還れ」
第4回「手探り」

高濱虚子が俳句とは「花鳥諷詠詩」であると観念づけて以来、現在一般に俳句とは有季定型による表現形式であるとされています。しかし三橋敏雄は、これは古来からの俳諧の発句の形式であるとし、正岡子規の「俳句には多くの四季の題目を詠ず。四季の題目無きものを雜と言ふ」(『俳諧大要』)を引き、「これを言い換えれば、いわゆる無季の句と有季の句をあわせて俳句である、と定義したものと理解できる」という見解を示しています。
また、「私は無季俳句の実践により、改めて季の言葉の重要性を認識した。余慶というべきものである」と付言しています。

評伝ですが、すぐれたアンソロジーでもあります。
『証言 昭和の俳句』のエピソードもあります。

最後に著者の経歴をご紹介します。

遠山陽子(とおやまようこ)
1932年、東京生まれ。本名飯名(いいな)陽子。1957年から「馬酔木」に所属して句作を始める。1968年には「鷹」創刊に参加して藤田湘子(しょうし)の指導を受ける。1978年三橋敏雄(みつはしとしお)指導句会「春霜(しゅんそう)」(のち「檣(しょう)」に参加。機関紙「檣」の編集を担当する。1978年に第一句集『弦楽(げんがく)』刊行。1986年刊行の第2句集『黒鍵(こっけん)』では第33回現代俳句協会賞を受賞。句集はほかに『連音』(1995)、『高きに登る』(2005)がある。現在、「雷魚(らいぎょ)」・「面(めん)」・「鏡(かがみ)」同人。
# by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2013-06-25 10:16

証言・昭和の俳句 上下巻 各1700円  角川選書

「昭和俳句の証言者として、学徒出陣世代の俳人を中心に、何人かの重要な作家たちの本格的取材、つまり時間をかけた聞き書きを、今世紀のうちに、誰かが本気になってやっておくべきでしょう」と編集長(総合誌『俳句』)に提案されたことで、黒田先生ご自身が聞き手となり刊行された証言録です。


聞き手になるにあたって次の条件を提示されました。
①証言者の顔ぶれは最初から確定し、メンバーの方々に確認と納得をしていただく。
②準備期間を十分にとる。
③証言の収録に時間をかける。
④『俳句』掲載のときは、すべて証言者の一人語りの形式に統一。
  事前調査及び打ち合せの際の黒田の質問項目は小見出しに生かす。
⑤証言時点での自筆昨年譜と自選五十句をいただく。
⑥一人語りの体裁となった証言内容のチェック、ゲラ校正の時間を
  証言者に十分差し上げる。
⑦写真を多く載せる。証言者所有提供のものに限らず、角川書店、
  俳句文学館ライブラリーほかの写真も集めて生かす。
⑧昭和史を俳句から眺めた未来への遺産となる記録として広く読者を
  獲得できる内容を目指す。
⑨証言者のラインナップは流派を超えて大胆に絞り決定してゆくこと。
⑩『俳句』編集長は打ち合わせ、証言の場に始終同席。

これらの条件がすべてがととのえられて証言収録がおこなわれました。
この企画が具体的にどのように遂行されたかが一目でわかる内容です。

証言者は桂信子・鈴木六林男・草間時彦・金子兜太・成田千空・古館曹人・津田清子・
古沢太穂・沢木欣一・佐藤鬼房・中村苑子・深見けん二・三橋敏男の13名です。

第一章 桂信子のはじめに「証言者・聞き手・編集者・速記者・カメラマンが一座建立。その世界にいきいきと参加。」とあります。証言者の資料を詠み尽くしたうえでインタビューされようとしている聞き手の高揚感がつたわる一文です。

あとがきに「最年長の中村苑子先生から最年少の深見けん二先生まで、どなたの発言も戦争に深くかかわっておられます」「最終ランナーをつとめられた三橋先生のご発言━戦争は憎むべきもの、反対するべきものに決まってますけれど、〈あやまちはくりかえします秋の暮〉じゃないけれど、何年かたって被害をこうむった過去の体験者がいなくなれば、また始まりますね。いずれにせよ、昭和のまちがった戦争の記憶が世間的に近ごろめっきり風化してしまった観がありますが、少なくとも体験者としては生きているうちに、戦争体験の真実の一端なりとせめて俳句に言い残しておきたい。単に戦争反対という言い方じゃなく、ずしりと来るような戦争俳句をね━のように、私はひとりの聞き手、証言の引き出し役を担当できたこの十三人の巨人の発言集が風化してゆくのを惜しみます。ここに収められた言葉は〈未来への予言〉、やさしい語り口で述べられた未来へのメッセージです」とあります。

13名の自選50句・略年譜・写真、そして証言は平成の今を生きる俳句実作者に大切なものが何かを問い直してくれます。
第12章 深見けん二の証言は高浜虚子や山口青邨のこと、黒田先生がご参加されていた「木曜会」のことなど、興味深いものになっています。
# by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2013-02-13 17:32

平凡社俳句歳時記(全5巻) 各2415円

日本を代表する第一級の俳人ら7人が1959年に編んだ歳時記の新装版。古典名句から明治・大正・昭和まで、豊富な例句と品格ある季語解説で日本人の季節感の豊かさを知る、生活文化の百科事典と銘打ってあります。

今回の装丁はパステルカラーで、今までの歳時記にないイメージです。

冬の部の帯文
  「季語」は日本語の宝石。
  極上の解説と名句で
  なつかしい日本の暮らしを知る、
  冬の百科事典です。

ここでも百科事典という言葉が使われています。百科事典と言えば平凡社。どこの家にも一組あって、インテリアのごとく置かれていた印象があります。

編纂者は飯田蛇笏・富安風生・水原秋桜子・山口青邨・大野林火・井本農一・山本健吉です。蛇笏が春の部、風生が夏の部、秋桜子が秋の部、青邨が冬の部、林火が新年の部を担当しています。

春の季語3824・夏の季語3046・秋の季語3024・冬の季語2151・新年の季語1408が収録されています。(季語の総数に傍題も含まれています)

〈はしがき〉抜粋
「井本農一氏と私に、大野林火氏も加わり、随時会合して季題選出の標準を決め、また必要と認められる季語について〈考証〉欄を担当した。これは季題の歴史的考察である。例句は編纂者全員が、それぞれの持ち分を決めて選び出した。実作者は、あるいは季題解説欄だけ読めば、それ以上深い知識は不必要と思われるかも知れない。事実、この欄の解説者たちは、従来の無味乾燥な解説文体を避けて、詩人らしい味いに富んだ、読んで面白い解説を執筆された。それにもかかわらず、私は〈参考〉や〈考証〉の欄も読んでいただくことを希望する。なぜなら、それによって季語に対する人々の理解が深まり、また日本の季節現象や行事の意味を深く知ることができると思うからである。そして、認識を深めることが、実作者としての詩的感受性を深めることにならないとは言えないのである。だが私は、それにもまして、句を作らない一般の人たちが、この書に親しむことによって、日本の風土をよりよく知り、日本人の季節感情の根深さに触れられることを、さらに強く希望したいのである」
歳時記について、山本健吉が熱く語っています。

参考欄の執筆者は36人です。大学教授・民族学研究所理事・ラジオドクター・日本陶磁協会理事・山科鳥類研究所理事・キリシタン文化研究会・科学研究所研究員・日本野鳥の会会長・演劇評論家・服飾研究家・人形研究家・気象庁など・・・それぞれの専門分野のオーソリティーです。

歳時記のところどころにイラストがあります。昭和の良き時代を彷彿とさせるものです。
# by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2013-01-15 11:41

『手紙歳時記』    黒田杏子 白水社刊 2000円



2012年11月25日発行の書き下ろし本です。
「句界の偉才が、先達や友人など十二人との交流の基ともなった手紙の魅力を、存分に引き出す。」と紀伊國屋書店BookWebに紹介されています。このサイトに黒田先生のさまざまなご本65冊が網羅されています。

『手紙歳時記』の目次です。
一月 敢然と立つ波の上―磯見漁師斉藤凡太の俳句修行
二月 俳句のある人生―アメリカの女性外交官アビゲール不二の挑戦
三月 韋駄天杏子立ち往生―酒仙学者暉峻桐雨宗匠の教え
四月 サンパウロの桜守―日本人西谷南風と俳句
五月 蒼い目の太郎冠者―ドナルド・キーン薫風の日々
六月 青梅雨の榊一邑―莫山・美代子大往生
七月 涼しさのあんず句会―名付け親瀬戸内寂聴先生とともに
八月 盆の月を仰いで―山本けんゐち岩木山山麓の病室より
九月 長き夜を遊びつくして―東京やなぎ句会の兄貴たち
十月 秋灯女三代―大津波の後の菅原和子・有美・華の未来
十一月 冬銀河を遡る―俳句少年小田実
十二月 大晦日の饅頭ベストスリー―道楽学者歌人鶴見和子の生き方

大切な手紙が月ごとに紹介されています。手紙の向うにある世界と、そこに織りこまれている俳句作品から四季の美しさ、人生の哀歓が浮かびあがってきます。

3・11の大震災から1年9ヵ月がたちました。
十月の章から、週刊朝日の臨時増刊2012・2・20号、「復刊アサヒグラフ」の古川日出男(福島県郡山市生れの作家〉の一文を思い出しました。

「愕然としながら、僕は、この日本という国が〈以前とは様相を異にして流れている時間〉の国になったのだと、改めて認識しました。以前通りの時間を生きている人たちもいるでしょう。被災地以外の場所におれば、それも仕方のないこともかもしれない。しかし、事実はそうではないのです。だから、忘れてはならない。」
古川は2011年7月と2012年1月に母校の小学校を訪れています。夏の除染作業から半年、グラウンドには太陽光発電のモニタリングポストが設置されていたそうです。

黒田先生は福島県文学賞の審査委員もなさっています。

文章に引き込まれて一気に読んでしまいましたが、言葉ひとつひとつに深い意味がこめられています。じっくり読みこんでこその一冊だと思いました。
人にはそれぞれ与えられた場所がありますが、俳句という文芸を介して、そこで恵まれた人々との出会いを大切にするこころの働かせ方があざやかに描かれています。
# by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2012-12-14 11:51