読書録

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高浜虚子の世界 『俳句』編集部編 

 高浜虚子の世界 『俳句』編集部編   角川学芸出版 1800円

没後50年記念出版 100余名が書き下ろす豊饒な世界と銘打って、
平成21年4月20日に発行されています。
編集部編の高浜虚子著書目録・高浜虚子略年譜がついています。

膨大な俳句数、著作の多さから、虚子の全体像をみることはむずかしいし、
時間がかかることだと思っていました。
それが高浜虚子没後50年という年に生き合わせたことで、
高浜虚子像をコンパクトに俯瞰できるムックを手にとることができました。
『俳句』編集部編ということで、実力のある俳人たちがいろいろな角度から
高浜虚子について語っています。
これから虚子の俳句を読みなおそうと考えている人にはもってこいの副読本。


高浜虚子は嫌い・・・身近に聞く言葉です。
私も俳句を始めたころに〈酌婦来る火取虫より汚きが〉などに抵抗をおぼえました。
それは俳句の鑑賞の方法を知らずに散文として読んでいたからなのですが。
おかしなもので第一印象の残滓が虚子俳句とわたしの間に今もただよっています。
これから、虚子の印象がどうかわるかを楽しみに読んでゆきます。
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# by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2012-04-16 07:36

『虚子に学ぶ 俳句365日』 

    『虚子に学ぶ 俳句365日』 週刊俳句=編  草思社 1500円

 高浜虚子は生涯に20万句を超える句を詠んだといわれていますが、
 その中から抄出された365句にコンパクトな解説がついています。
 1日1句365日、春夏秋冬に身をおきながら読んでゆくと楽しいかもしれません。
 「この句のココがおもしろい」「ココが作句の参考になる」といった
 「俳句のヒント」が並んでいると思ってさしつかえない・・・とのことです。
 初心者、これから俳句を始めようという人に向けてわかりやすい解説を心がけたそうです。
 執筆者は相子智恵・生駒大祐・上田信治・神野沙希・関悦史・高柳克弘と若手中心です。
 
  

  コラムもあります。
  
  正岡子規と高浜虚子
  雑誌「ホトトギス」と虚子
  花鳥諷詠と虚子
  台所俳句と虚子
  第二芸術論と虚子
  虚子を楽しむためのブックガイド
  虚子をもっと楽しむためのブックガイド
                  以上6篇。
巻末に参考文献

  【本文より】
     
     3月20日
 水に浮く柄杓の上の春の雪
  
  つくばいか湧泉のようなものの水に、ふわと浮かんでいる柄杓の上に、さらにふうわりと、
  春の雪がのっています。写真のように印象鮮明で、虚子の唱導した「客観写生」を
  代表する秀句と思われるのですが、なぜか句集『五百句』には入っていません。
  「選は創作なり」と言い、選句眼に絶対の自信をもっていた虚子なのですが、
  自身の句集、特に『五百句』の選句の基準には、後世から見てよくわからない
  ところがあるのです。(上田)

    4月10日
  咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり

桜の花の満開のさまを、これほど単純にしかも美しく言葉にした句は、そうはないはずです。うっとりと見上げる視線の先、器に満々としてこぼれない水か酒のように喩えられているのは、一つ一つの花びらでもあり、一樹の、または今咲くすべての桜の花の総体のようなものです。虚子の唱導した「花鳥諷詠」を代表する名吟と思えるのですが、この句もまた、句集『五百句』には、選ばれていないのです。(上田)
 

1人の執筆者を追って読むと、句集『五百句』の選の基準について問題提起があったりします。これも醍醐味のひとつ。
  
帯に現代的で面白い、わかりやすい、高浜虚子の俳句は最良の手本だ!と銘打ってあります。なんだか通信販売のキャッチコピーみたいです。とは言え、現代の視点で新たにされた高浜虚子の一面を見ることができます。
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# by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2012-04-10 10:12

『六千億本の回転する曲がった棒』

『六千億本の回転する曲がった棒』 関悦史 邑書林 2000円
  
邑書林発行『セレクション俳人プラス 新選21』・『セレクション俳人プラス 超新選21』で作品を発表している関悦史が、『六千億本の回転する曲がった棒』という句集を出しました。これからの俳壇で活躍が期待される新人の1人だそうです。

金網に傘刺さりけり秋の暮
逢ひたき人以外とは遭ふ祭かな
椿剪ル未ダ死ナヌ者數ヘツツ
入歯ビニールに包まれ俺の鞄の中
年暮れてわが子のごとく祖母逝かしむ
祖母口を軽くひらきて木箱の中
鏡には映り阿部完市話す
人類に空爆のある雑煮かな
網にかかる蛸とゴルディアスの結び目と
夕凪(ユフナギ)ノ浦(ウラ)ニGodot(ごどー)ノ身(ミ)モ燒(ヤ)ケツツ
胡桃のなか学僧棲みてともに割らる
年越そばふとコロッケも乗りたがる
屋根屋根が土が痛がる春の月
崩るる国の砕けし町の桜かな
足尾・水俣・福島に山滴れる
以上は帯に紹介されている10句ですが、なんと黒田先生の選です。


 この人の句集の中に難解なものもあります。中岡毅雄著『壺中の天地』42頁「反写生主義の末路」のなかに「吟行による直接体験を詠んだ句であれ、想像による間接体験を詠んだ句であれ、創作のプロセスにおいて、外界はなんらかのかたちで、自己の内界に関与せざるを得ない。批評対象となるのは、その素材がどのようなレトリックによって表現されたのかという修辞上の問題なのであって、直接体験か否かという舞台裏の説明でないのは、当たり前のことなのである」とありますが、そういう心構えとレトリックの知識をもって読んでいかないとおばさん読者は弾き飛ばされます。
「豈 49号 2009.NOV.」に掲載されている関悦史の「断章三つ」を読みました。
原稿依頼のテーマは〈21世紀にあたって新しい俳人の担い手たちは何を考え何に向うか〉
断章の三つめに「私は受け身であり、何も「考え」ていない。依頼や〆切が発生するとその都度、どう応えることが周囲への寄与となるかを思い、言葉を組織していくだけである。受け身の態勢は、一寸先が読めず様々な予想外の急変に呼応していかなければならない介護暮らしの間に習い性となったのだった。介護していた祖母の没後、一人になってからは、死の明るみの側から不定形の存在となってこの世=悦楽を観ているような感覚をしばしばもった・・・」
 
テーマに対して、
★何も「考え」ていない・・・という表現、実は考え尽くしてしまったのではと思わされます。
  介護施設を頼らず、祖母の家で助産婦だった祖母の暮らしを最後まで支えた人です。
 
★何に向かうか・・・「どう応えることが周囲への寄与となるかを思い、言葉を組織していくだけである。
  受け身の態勢は、一寸先が読めず様々な予想外の急変に呼応していかなければならない介護暮
  らしの間に習い性となったのだった」と体験で悟った人の言葉です。

★死の明るみの側から・・・結びの言葉はとても深いものです。すぐにわかった、わかったなどと言えるような   柔なものではありません。

 加藤楸邨が石田波郷に請われて石橋辰之助と対談して次のことを言っています。

  「僕は俳句を愛すれば愛するほど絶望しそうな心配がわいてくるんだ。つまりだね。俳句に純粋になろうと すればするほどその純粋性の根拠を衝かなくてはいられないのだ。〈俳句を俳句の価値だけに見てゆく〉と  いう言葉にの中に厭なものを見てしまうのだ。小さい形だから「生活感情」を盛りきれない。だからそれ相当 のところで我慢をするという思想が実にたまらない妥協にみえるのだ。ところが事実今までに逞しい「生活感 情」なんか詠われていたことがない。生活から遊離した上っ面の詠嘆が実に多い。たまに本当の人間らしさ を感じても、時代の悩みからは遠い隠遁的・逃避的な声だったりする」

   加藤楸邨が関悦史の俳句を読んだらどんな批評をするでしょう。
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# by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2012-04-09 22:58