読書録

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『蕪村句集講義』3巻  東洋文庫

 内藤鳴雪 正岡子規 高浜虚子 河東碧梧桐・ほか著  校注佐藤勝明


まず帯を紹介します。

1巻:冬之部・春之部
明治31年1月から鳴雪・子規・虚子・碧梧桐らは63回に及ぶ『蕪村句集』の輪講を行った。本書はその全記録である。彼らは蕪村をどう読んだか。  

2巻:夏之部
明治33年、子規の病状は重くなってゆく。だが、月々の『蕪村句集』は鳴雪・虚子・碧梧桐らが実施。子規もまた、その講義録に所感を寄せ続けた。  

3巻:秋之部 
明治34年4月に、5年の歳月を要して鳴雪らの『蕪村句集』輪講は完結。その前年の秋、子規は死の床にあってなお発言を続けた。子規が最後に伝えたことは何か。


1巻:出席者
石井露月・梅沢墨水・折井愚哉・河東碧梧桐・坂本四方太・佐藤肋骨・高浜虚子・竹村黄塔・竹村修竹・内藤鳴雪・正岡子規・松瀬靑々(50音順)。

2巻:出席者
河東碧梧桐・坂本四方太・佐藤紅緑・高浜虚子・内籐鳴雪・中村烏堂・正岡子規(50音順)。

3巻:出席者
河東碧梧桐・佐藤紅緑・高浜虚子・内籐鳴雪・正岡子規(50音順)


三巻・巻末に佐藤勝明の解説があります。
(以前レポートした『芭蕉全句集』角川ソフィア文庫の訳注も佐藤勝明でした!)

1 俳諧史の展開と蕪村
2 発句時代の到来と『蕪村句集』
3 『蕪村句集講義』の背景と意義

校注にあたっての参考文献7冊が紹介されています。


有名なエピソードとしては、春之部 286 〈帰る雁田ごとの月の曇る夜に〉
についての内籐鳴雪と正岡子規の約一時間に及ぶやりとりがあります。
この日の記録者は高浜虚子です。河東碧梧桐・竹村黄塔も出席しています。

虚子が〈帰る雁〉の句の表面的な意味と裏面の意味を言い、「田ごとの月」と詠む意図に善さを感じないと述べます。対して、鳴雪が「帰雁を惜しむあまりに月も曇るといふ主観的の趣に在り」と応えます。
そこへ、子規が「虚子氏の説に賛す。鳴雪氏の如き解釈は月並臭味ありと思ふ」と口火をきります。
 
虚子は「さては子規氏等には雁の別れを惜むといふ如き事に美感無きなるべし、との鳴雪氏の攻撃より、子規氏との間に殆ど一時間に陟れる長議論あり。移り移りて美の標準論となり、碧梧桐氏、虚子亦た鉾を鳴雪氏に向く。談余事に渉れば爰に略す」と記録しています。
雁の別れに美感を持たないとは・・・との言葉に激する若者3人です。
この時、鳴雪52歳、子規32歳、碧梧桐26歳、虚子は25歳でした。
 散会後、子規は家人から大先輩の鳴雪に対しての言動が不敬であり、礼を欠くものだと注意されます。「余、自ら殆ど夢中にて敬か不敬か一切知らず、即ち書を飛ばして罪を鳴雪翁に謝す」と述べ〈蕃椒広長舌をちゞめけり〉と詠んでいます。鳴雪は「斯道に当りて激論抗議は吾輩の常時、而して子規君の礼儀に厚き、書を寄せらるゝに至る、亦美徳、並び行はれて相戻らず。唯僕の病苦を察せず、興に任せて呶々したるは、自ら顧みて慙愧已むなし」と返します。
これに対して子規は「何ぞ敬と不敬とにあらんや、と。先生の胸中、光風霽月秋天一塵を留めず」と感想を述べています。

時に熱い議論を戦わす『蕪村句集講義』、蕪村の句の魅力を引き出すことだけにとどまらず、参加者の闊達な人柄や明治維新の風をこちらに吹かせてくれます。
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by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2012-10-23 11:30