読書録

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『峡に忍ぶ』 秩父の女流俳人、馬場移公子 藤原書店3800円  中嶋鬼谷


本書は大きく分けると二部構成になっています。

序に代えて・・・峡に詠うープロローグ 金子兜太 

第一部 馬場移公子の作品

「馬酔木」に投句された作品、
第一句集『峡の音』・第二句集『峡の雲』(完全収録)
自選句及び晩年の百句(鬼谷抄出)・随筆

第二部 馬場移公子論
桂信子・楠本憲吉・福永耕二・野沢節子・林翔・ほんだゆきによる評論
〈座談会〉馬酔木作家論(抜粋・要約)堀口星眠・大島民郎・千代田葛彦・岡田貞峰・
古賀まり子・鳥越すみ子・澤田弦四郎・富岡掬池路・市村究一郎
馬場移公子追悼文集

跋に代えて・・・馬場移公子さん、やっとお逢い出来ました 黒田杏子

資料集・・・歳時記所収の移公子の俳句・馬場移公子年譜・参考文献

峡に忍ぶーエピローグ・・・・中嶋鬼谷


資料一切が網羅されていますので、秩父の女流俳人がどのようにして俳句と出会ったのか、第一句集・第二句集がどのようにして生まれていったのか・・・などなどいろいろな角度から読み深めることができます。

著者の中嶋鬼谷は

「『忍ぶ』とは、『耐える』という受け身の消極的な生き方ではない。また『隠栖』とも違う。『忍ぶ』とは俳人にとって、詩魂を、命を育むように懐深く抱いて生きること、無欲無私に至ろうとして心を砕いて生きること、心を透明にし、遥かなものに思いを馳せて生きることである」

と結んでいます。
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by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2013-12-29 17:06

『評伝 三橋敏雄』 沖積舎7140円  遠山陽子

著者は2003年より三橋敏雄研究の季刊個人誌「弦(げん)」を創刊発行しました。9年の歳月をかけてその成果を、『評伝 三橋敏雄ーしたたかなダンディズム』として600ページにあまる大著にまとめました。作品発行の詳細な記録をたどり、敏雄の句のありかたとその人格をみごとに描きだしたものとして高く評価されています。
第4回桂信子賞を受賞しています。

三橋敏雄は15歳で神保町にある東京堂に就職し、文芸活動に関わるようになります。「三橋よ、お前は俳句をやれ」ほとんど命令のように寄宿舎の先輩である渡邊保夫から声がかかりました。
処女作は〈窓越しに四角な空の五月晴〉。
当時、神田附近は新興俳句のメッカでした。水原秋桜子・高屋秋窓・石田波郷・西東三鬼・三谷昭・石橋辰之助・渡辺白泉・西島麦南・・・名だたる作家があつまっていました。

以後、66年結社を持たずに新興俳句を師とし、古典に深く通じ、妥協を許さぬ孤高の精神をもって活動しました。

著者は三橋敏雄の作品と人生に寄り添いながら、彼が希求してやまなかった俳句のあるべき姿を丁寧に描きだしていきます。抑揚の効いた簡潔な文体ですが、核心に迫るところは熱く語られています。

第一章 武蔵の国八王子
第二章 東京堂時代
第三章 戦争
第四章 航海時代
第五章 平河会館時代
第六章 退職後
第七章 小田原時代

以上の章立てになっています。
編年体の構成になっていて、冒頭の年表で米一俵の価格や社会的な事件、俳壇・文壇の動向がわかるようになっています。

三橋敏雄は平成元年6月、蛇笏賞を受賞しています。
以下は「俳句」平成元年7月号に掲載された受賞の言葉です。

有季の世界、無季の世界    三橋敏雄
 

後載の〈略歴〉の冒頭にも記したように、私の俳句の出自はかつて新興俳句である。その上にも昭和十年の当時、先輩たちが鼓吹してやまなかった、無季俳句の実践から句作の道に入った。だから、いわゆる季を捨てて無季に走ったのではない。初めから無季俳句に自己表現をかけたわけである。そういう私に対して、それより先に「ホトトギス」の万年落選を経て投句をやめていた父は次のように論し、一応の見識を示した。〈俳句をやるなら「ホトトギス」か「雲母」にかぎる、自由律なら「層雲」〉と。新興無季俳句には賛成ではなかったのだ。
始めてはみたが無季俳句は難しかった。やがて、並行して有季俳句の実作を試みるうち、季の詞のもつ喚起力の重要性を知った。すぐれた季の詞は、それ自体が一箇の表現として自立している。ひいてはこれを軽々しく使うことは勿体ないと思うまでになった。
 しかし、顧みるまでもなく私は、いまだに無季の世界への魅力をおさえきれずにいる。いわゆる有季定型のみを俳句であると信奉する人たちにとって、私は異端者だろう。にも拘わらず、このたびのことは、どうした風の吹きまわしかと思う。選考に当たられた四先生も悩まれたにちがいない。いまは、前記の私の亡父の言葉にもあった「雲母」の、偉大な前主宰、故飯田蛇笏翁の芳名に冠する本賞を拝受して、感概なしとしない。有難く厚く御礼申しあげる。」

蛇笏賞の選考委員は飯田龍太、金子兜太、藤田湘子、細見綾子の四氏でした。

平成二年7月、毎日新聞に4回にわたる連載「私の俳句作法」を寄稿しています。

第1回「俳句の定義」
第2回「花鳥諷詠詩」
第3回「子規に還れ」
第4回「手探り」

高濱虚子が俳句とは「花鳥諷詠詩」であると観念づけて以来、現在一般に俳句とは有季定型による表現形式であるとされています。しかし三橋敏雄は、これは古来からの俳諧の発句の形式であるとし、正岡子規の「俳句には多くの四季の題目を詠ず。四季の題目無きものを雜と言ふ」(『俳諧大要』)を引き、「これを言い換えれば、いわゆる無季の句と有季の句をあわせて俳句である、と定義したものと理解できる」という見解を示しています。
また、「私は無季俳句の実践により、改めて季の言葉の重要性を認識した。余慶というべきものである」と付言しています。

評伝ですが、すぐれたアンソロジーでもあります。
『証言 昭和の俳句』のエピソードもあります。

最後に著者の経歴をご紹介します。

遠山陽子(とおやまようこ)
1932年、東京生まれ。本名飯名(いいな)陽子。1957年から「馬酔木」に所属して句作を始める。1968年には「鷹」創刊に参加して藤田湘子(しょうし)の指導を受ける。1978年三橋敏雄(みつはしとしお)指導句会「春霜(しゅんそう)」(のち「檣(しょう)」に参加。機関紙「檣」の編集を担当する。1978年に第一句集『弦楽(げんがく)』刊行。1986年刊行の第2句集『黒鍵(こっけん)』では第33回現代俳句協会賞を受賞。句集はほかに『連音』(1995)、『高きに登る』(2005)がある。現在、「雷魚(らいぎょ)」・「面(めん)」・「鏡(かがみ)」同人。
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by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2013-06-25 10:16

証言・昭和の俳句 上下巻 各1700円  角川選書

「昭和俳句の証言者として、学徒出陣世代の俳人を中心に、何人かの重要な作家たちの本格的取材、つまり時間をかけた聞き書きを、今世紀のうちに、誰かが本気になってやっておくべきでしょう」と編集長(総合誌『俳句』)に提案されたことで、黒田先生ご自身が聞き手となり刊行された証言録です。


聞き手になるにあたって次の条件を提示されました。
①証言者の顔ぶれは最初から確定し、メンバーの方々に確認と納得をしていただく。
②準備期間を十分にとる。
③証言の収録に時間をかける。
④『俳句』掲載のときは、すべて証言者の一人語りの形式に統一。
  事前調査及び打ち合せの際の黒田の質問項目は小見出しに生かす。
⑤証言時点での自筆昨年譜と自選五十句をいただく。
⑥一人語りの体裁となった証言内容のチェック、ゲラ校正の時間を
  証言者に十分差し上げる。
⑦写真を多く載せる。証言者所有提供のものに限らず、角川書店、
  俳句文学館ライブラリーほかの写真も集めて生かす。
⑧昭和史を俳句から眺めた未来への遺産となる記録として広く読者を
  獲得できる内容を目指す。
⑨証言者のラインナップは流派を超えて大胆に絞り決定してゆくこと。
⑩『俳句』編集長は打ち合わせ、証言の場に始終同席。

これらの条件がすべてがととのえられて証言収録がおこなわれました。
この企画が具体的にどのように遂行されたかが一目でわかる内容です。

証言者は桂信子・鈴木六林男・草間時彦・金子兜太・成田千空・古館曹人・津田清子・
古沢太穂・沢木欣一・佐藤鬼房・中村苑子・深見けん二・三橋敏男の13名です。

第一章 桂信子のはじめに「証言者・聞き手・編集者・速記者・カメラマンが一座建立。その世界にいきいきと参加。」とあります。証言者の資料を詠み尽くしたうえでインタビューされようとしている聞き手の高揚感がつたわる一文です。

あとがきに「最年長の中村苑子先生から最年少の深見けん二先生まで、どなたの発言も戦争に深くかかわっておられます」「最終ランナーをつとめられた三橋先生のご発言━戦争は憎むべきもの、反対するべきものに決まってますけれど、〈あやまちはくりかえします秋の暮〉じゃないけれど、何年かたって被害をこうむった過去の体験者がいなくなれば、また始まりますね。いずれにせよ、昭和のまちがった戦争の記憶が世間的に近ごろめっきり風化してしまった観がありますが、少なくとも体験者としては生きているうちに、戦争体験の真実の一端なりとせめて俳句に言い残しておきたい。単に戦争反対という言い方じゃなく、ずしりと来るような戦争俳句をね━のように、私はひとりの聞き手、証言の引き出し役を担当できたこの十三人の巨人の発言集が風化してゆくのを惜しみます。ここに収められた言葉は〈未来への予言〉、やさしい語り口で述べられた未来へのメッセージです」とあります。

13名の自選50句・略年譜・写真、そして証言は平成の今を生きる俳句実作者に大切なものが何かを問い直してくれます。
第12章 深見けん二の証言は高浜虚子や山口青邨のこと、黒田先生がご参加されていた「木曜会」のことなど、興味深いものになっています。
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by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2013-02-13 17:32

平凡社俳句歳時記(全5巻) 各2415円

日本を代表する第一級の俳人ら7人が1959年に編んだ歳時記の新装版。古典名句から明治・大正・昭和まで、豊富な例句と品格ある季語解説で日本人の季節感の豊かさを知る、生活文化の百科事典と銘打ってあります。

今回の装丁はパステルカラーで、今までの歳時記にないイメージです。

冬の部の帯文
  「季語」は日本語の宝石。
  極上の解説と名句で
  なつかしい日本の暮らしを知る、
  冬の百科事典です。

ここでも百科事典という言葉が使われています。百科事典と言えば平凡社。どこの家にも一組あって、インテリアのごとく置かれていた印象があります。

編纂者は飯田蛇笏・富安風生・水原秋桜子・山口青邨・大野林火・井本農一・山本健吉です。蛇笏が春の部、風生が夏の部、秋桜子が秋の部、青邨が冬の部、林火が新年の部を担当しています。

春の季語3824・夏の季語3046・秋の季語3024・冬の季語2151・新年の季語1408が収録されています。(季語の総数に傍題も含まれています)

〈はしがき〉抜粋
「井本農一氏と私に、大野林火氏も加わり、随時会合して季題選出の標準を決め、また必要と認められる季語について〈考証〉欄を担当した。これは季題の歴史的考察である。例句は編纂者全員が、それぞれの持ち分を決めて選び出した。実作者は、あるいは季題解説欄だけ読めば、それ以上深い知識は不必要と思われるかも知れない。事実、この欄の解説者たちは、従来の無味乾燥な解説文体を避けて、詩人らしい味いに富んだ、読んで面白い解説を執筆された。それにもかかわらず、私は〈参考〉や〈考証〉の欄も読んでいただくことを希望する。なぜなら、それによって季語に対する人々の理解が深まり、また日本の季節現象や行事の意味を深く知ることができると思うからである。そして、認識を深めることが、実作者としての詩的感受性を深めることにならないとは言えないのである。だが私は、それにもまして、句を作らない一般の人たちが、この書に親しむことによって、日本の風土をよりよく知り、日本人の季節感情の根深さに触れられることを、さらに強く希望したいのである」
歳時記について、山本健吉が熱く語っています。

参考欄の執筆者は36人です。大学教授・民族学研究所理事・ラジオドクター・日本陶磁協会理事・山科鳥類研究所理事・キリシタン文化研究会・科学研究所研究員・日本野鳥の会会長・演劇評論家・服飾研究家・人形研究家・気象庁など・・・それぞれの専門分野のオーソリティーです。

歳時記のところどころにイラストがあります。昭和の良き時代を彷彿とさせるものです。
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by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2013-01-15 11:41

『手紙歳時記』    黒田杏子 白水社刊 2000円



2012年11月25日発行の書き下ろし本です。
「句界の偉才が、先達や友人など十二人との交流の基ともなった手紙の魅力を、存分に引き出す。」と紀伊國屋書店BookWebに紹介されています。このサイトに黒田先生のさまざまなご本65冊が網羅されています。

『手紙歳時記』の目次です。
一月 敢然と立つ波の上―磯見漁師斉藤凡太の俳句修行
二月 俳句のある人生―アメリカの女性外交官アビゲール不二の挑戦
三月 韋駄天杏子立ち往生―酒仙学者暉峻桐雨宗匠の教え
四月 サンパウロの桜守―日本人西谷南風と俳句
五月 蒼い目の太郎冠者―ドナルド・キーン薫風の日々
六月 青梅雨の榊一邑―莫山・美代子大往生
七月 涼しさのあんず句会―名付け親瀬戸内寂聴先生とともに
八月 盆の月を仰いで―山本けんゐち岩木山山麓の病室より
九月 長き夜を遊びつくして―東京やなぎ句会の兄貴たち
十月 秋灯女三代―大津波の後の菅原和子・有美・華の未来
十一月 冬銀河を遡る―俳句少年小田実
十二月 大晦日の饅頭ベストスリー―道楽学者歌人鶴見和子の生き方

大切な手紙が月ごとに紹介されています。手紙の向うにある世界と、そこに織りこまれている俳句作品から四季の美しさ、人生の哀歓が浮かびあがってきます。

3・11の大震災から1年9ヵ月がたちました。
十月の章から、週刊朝日の臨時増刊2012・2・20号、「復刊アサヒグラフ」の古川日出男(福島県郡山市生れの作家〉の一文を思い出しました。

「愕然としながら、僕は、この日本という国が〈以前とは様相を異にして流れている時間〉の国になったのだと、改めて認識しました。以前通りの時間を生きている人たちもいるでしょう。被災地以外の場所におれば、それも仕方のないこともかもしれない。しかし、事実はそうではないのです。だから、忘れてはならない。」
古川は2011年7月と2012年1月に母校の小学校を訪れています。夏の除染作業から半年、グラウンドには太陽光発電のモニタリングポストが設置されていたそうです。

黒田先生は福島県文学賞の審査委員もなさっています。

文章に引き込まれて一気に読んでしまいましたが、言葉ひとつひとつに深い意味がこめられています。じっくり読みこんでこその一冊だと思いました。
人にはそれぞれ与えられた場所がありますが、俳句という文芸を介して、そこで恵まれた人々との出会いを大切にするこころの働かせ方があざやかに描かれています。
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by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2012-12-14 11:51

『蕪村句集講義』3巻  東洋文庫

 内藤鳴雪 正岡子規 高浜虚子 河東碧梧桐・ほか著  校注佐藤勝明


まず帯を紹介します。

1巻:冬之部・春之部
明治31年1月から鳴雪・子規・虚子・碧梧桐らは63回に及ぶ『蕪村句集』の輪講を行った。本書はその全記録である。彼らは蕪村をどう読んだか。  

2巻:夏之部
明治33年、子規の病状は重くなってゆく。だが、月々の『蕪村句集』は鳴雪・虚子・碧梧桐らが実施。子規もまた、その講義録に所感を寄せ続けた。  

3巻:秋之部 
明治34年4月に、5年の歳月を要して鳴雪らの『蕪村句集』輪講は完結。その前年の秋、子規は死の床にあってなお発言を続けた。子規が最後に伝えたことは何か。


1巻:出席者
石井露月・梅沢墨水・折井愚哉・河東碧梧桐・坂本四方太・佐藤肋骨・高浜虚子・竹村黄塔・竹村修竹・内藤鳴雪・正岡子規・松瀬靑々(50音順)。

2巻:出席者
河東碧梧桐・坂本四方太・佐藤紅緑・高浜虚子・内籐鳴雪・中村烏堂・正岡子規(50音順)。

3巻:出席者
河東碧梧桐・佐藤紅緑・高浜虚子・内籐鳴雪・正岡子規(50音順)


三巻・巻末に佐藤勝明の解説があります。
(以前レポートした『芭蕉全句集』角川ソフィア文庫の訳注も佐藤勝明でした!)

1 俳諧史の展開と蕪村
2 発句時代の到来と『蕪村句集』
3 『蕪村句集講義』の背景と意義

校注にあたっての参考文献7冊が紹介されています。


有名なエピソードとしては、春之部 286 〈帰る雁田ごとの月の曇る夜に〉
についての内籐鳴雪と正岡子規の約一時間に及ぶやりとりがあります。
この日の記録者は高浜虚子です。河東碧梧桐・竹村黄塔も出席しています。

虚子が〈帰る雁〉の句の表面的な意味と裏面の意味を言い、「田ごとの月」と詠む意図に善さを感じないと述べます。対して、鳴雪が「帰雁を惜しむあまりに月も曇るといふ主観的の趣に在り」と応えます。
そこへ、子規が「虚子氏の説に賛す。鳴雪氏の如き解釈は月並臭味ありと思ふ」と口火をきります。
 
虚子は「さては子規氏等には雁の別れを惜むといふ如き事に美感無きなるべし、との鳴雪氏の攻撃より、子規氏との間に殆ど一時間に陟れる長議論あり。移り移りて美の標準論となり、碧梧桐氏、虚子亦た鉾を鳴雪氏に向く。談余事に渉れば爰に略す」と記録しています。
雁の別れに美感を持たないとは・・・との言葉に激する若者3人です。
この時、鳴雪52歳、子規32歳、碧梧桐26歳、虚子は25歳でした。
 散会後、子規は家人から大先輩の鳴雪に対しての言動が不敬であり、礼を欠くものだと注意されます。「余、自ら殆ど夢中にて敬か不敬か一切知らず、即ち書を飛ばして罪を鳴雪翁に謝す」と述べ〈蕃椒広長舌をちゞめけり〉と詠んでいます。鳴雪は「斯道に当りて激論抗議は吾輩の常時、而して子規君の礼儀に厚き、書を寄せらるゝに至る、亦美徳、並び行はれて相戻らず。唯僕の病苦を察せず、興に任せて呶々したるは、自ら顧みて慙愧已むなし」と返します。
これに対して子規は「何ぞ敬と不敬とにあらんや、と。先生の胸中、光風霽月秋天一塵を留めず」と感想を述べています。

時に熱い議論を戦わす『蕪村句集講義』、蕪村の句の魅力を引き出すことだけにとどまらず、参加者の闊達な人柄や明治維新の風をこちらに吹かせてくれます。
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by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2012-10-23 11:30

『蕪村余響 そののちいまだ年くれず』 藤田真一 岩波書店3800円

「はじめに」に「この本ではできるだけ生身に近いところで、蕪村について考えることを目標に置いた。いちばんの願いは、生きる蕪村に寄り添うこと、蕪村の生の声を聴く耳をもつこと、蕪村が生活する場面に足場をおくことにあった。そうした心構えを通じて、画・俳の作品の裏から光をあてて、これまでにない蕪村像を浮かび上がらせることができれば本望である」とあります。
これって、どこかで聞いたことがある・・・と思うようなうたい文句なのですが、内容はこの第一印象をみごとに裏切ってくれます。

目次は以下の通りです。
Ⅰ 暮らしの中で
Ⅱ 仲間とともに
Ⅲ 融通無碍の創意をのせて
Ⅳ 人生の終焉にむけて

本書は俳誌「紫薇」に掲載された30頁の原稿を10年かけて、書き改めたり、新しく書きくわえたりしたものです。表題は「紫薇」に掲載されたなかの一編のタイトルから、澁谷道が選んだものです。執筆中に『蕪村全集』全9巻(講談社)完結、作品の資料の発見・紹介が相次ぎ、そうした外的条件が気持ちを後押ししたと述べています。
「作品や資料を精読することを通じて、蕪村たちの活動の場に臨場感をもって迫ることも可能だという思いを強くするようになった。それは、俳諧の特殊性によるところが大きい。この文芸は、まずもって、ひとの出会いのなかで生まれる。そうした現場性というのが、他の文芸にない俳諧の特色といってよい」と述べ、「俳諧を研究対象として分析し考察することはむろんたいせつである」と大学の先生としての立場で説き、「しかし、また、こうした俳諧独特の特質を考慮することによって、座の現場に密着したところで、ともに俳諧を語ることが可能になるのではないか」とこちらに問いかけるかたちで、それを確信したことを匂わせています。

Ⅱ 仲間とともに・・・にでてくるスーパー隠居と呼ばれる人たちなどはほんとうにおもしろくて、魅力的です。スーパー隠居の一人、杜口の『翁草』全二百巻、「二百という巻数の膨大さは、特筆にあたいする」とありますが、明治39年に活字翻刻が出版され、ここから材を得て、森鴎外が『高瀬舟』を書きました。


Ⅲ 融通無碍の創意をのせて・・・の「季重なりのすすめ━みの虫の古巣に添ふて梅二輪」も読みごたえがあります。

表題のサブタイトルは〈芭蕉去りてそののちいまだ年くれず〉から引いたものです。これは松尾芭蕉の〈年暮れぬ笠来て草履はきながら〉『野ざらし紀行』を俳文「齢末ノ弁」で引きながら、詠じた一句です。

国文学者である作者には
『風呂で読む蕪村』    世界思想社 1997・12
『蕪村 俳諧遊心』    若草書房 1999・7 近世文学研究叢書
『蕪村』           岩波新書 2000・12
などの著作があります。
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by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2012-09-20 10:55

『正岡子規』    ドナルド・キーン 角地幸男訳 新潮社 1800円

2011年1月より1年間「新潮」に掲載されたものです。
帯に俳句と短歌に革命をもたらした子規。西洋文明の衝撃により日本の伝統文化が危機に瀕するさなか、「ホトトギス」を創刊、「写生」という新たな手法で、俳句と短歌を改革し、国民的文芸にまで高めた子規。幼いときの火事体験から、最晩年の過酷な闘病生活まで丹念にたどる子規評伝の決定版。とあります。

一緒に読んだら面白いと思った本があります。
1冊めは『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り  漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』(新潮文庫 895円)という群像評伝です。著者の坪内裕三は「私は昔から、人の生まれた年だとか世代論に、とても興味を持っていたのだが、『亡命論者帰る』(マルカム・カウリー著)を読んでから、さらに、作家の当り年というものにも強い関心を抱くようになった。同い年の人びとが、それぞれに付き合いを交わしながら、時代の空気に影響を受けつつ、その世代に特有の面白い仕事を残して行く。そういう彼らの軌跡、丸ごとを、様ざまな国や時代の中で探し求めて行きたいと思っていた。━中略━ もちろん、幕末維新期に、のちの日本を代表する人びとが数多く生まれたという事実には、以前から気付いていた。特に文学者たちに多く。しかしそれは、ただ漠然と、夏目漱石や正岡子規、幸田露伴、尾崎紅葉といった人びとが同じ時期に生まれたのだな、と考えていたのにすぎない。まさか今名前をあげた人びとが、そろいもそろって、まったく同い年であるとは、思ってもいなかった。」と述べています。幕末維新期の群像の中で語られることによって、正岡子規のいろいろな要素が見えてきます。

もう1冊は『漱石の夏やすみ』(高橋俊男 ちくま文庫 780円)です。漱石が子規のために書いた『木屑録』の逐語訳、漱石自筆の写真版などが収録されています。漱石と子規の交流も描かれています。幕末維新期の文学青年は自作を仲間で読み合い、批評しあっていますが、漱石と子規も例外ではありません。その内容についての、高橋俊男の見解もさることながら、「正岡子規というのはどういうひとであったか。わたしが以前書いたものが(自分でいうのもへんだけれど)なかなか要領を得ているので、ここに引用しておく。」と前置きした一文があります。その明解さ、痛快さはなかなかだと思います。個性的で面白い副読本になると思います。漢文のレクチャーもありますし・・・。

著者は子規の英語力を評価し、高橋俊男は他のジャンルはともかく、子規の漢詩はそれほどでもないと評価しています。評価は基準がなくてはできないことですが、英語・中国語ともに漱石を基準にしていては話にならないと思っているようです。

また、〈鶏頭の十四五本もありぬべし〉から小西甚一の「ふしぎなことに、この句を絶賛した諸家は、なぜ名句なのかを全然説明しようとしない。たぶん宗教ふうインスピレイションのなせるわざらしく、文芸的経験に還元できる批評ではあるまい」を引き、「この句を含めて数多くの子規の俳句に対する称賛は、子規という人間に対する愛情と、子規の誠実さに対する信仰に基づくものであるということは疑う余地がない」と述べています。正岡子規に限らず、文芸作品を愛情と信仰のみで批評することの危うさを誰にもわかるように説いています。

「注」と「参考文献」も丁寧に読みたいところです。この評伝を多角的に読みこむことで、いろいろなことが見えてくると思います。正岡子規と真の対話をしたいと思うなら、『正岡子規全集』全22巻と暮らすくらいの覚悟が必要になると、明治23年のポートレートを見ながら思いました。
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by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2012-09-18 10:17

大人のための俳句鑑賞読本

時代を生きた名句    高野ムツオ NHK出版    1200円

 これまでにさまざまな俳句鑑賞読本が刊行されていますが、今回とりあげる高野ムツオの鑑賞読本は3・11以降を生きる私たちへのメッセージであると思いました。

序章 「災禍を超えて」では仙台での震災体験とともに、〈寒昴たれも誰かのただひとり 照井翠〉〈孑孒に会いたるのみの帰宅かな 小原啄葉〉〈三月十日十一日も鳥帰る 金子兜太〉の三句を鑑賞し、つぎに阪神淡路大震災時の〈ただひとりにも波は来る花ゑんど 友岡子郷〉〈寒暁や神の一撃もて明くる 和田悟朗〉〈枯草の大孤独居士ここに居る 永田耕衣〉の三句、最後に敗戦、9・11、アメリカ軍のタリバン政権への攻撃に言及して、〈二千年終る閂真一文字 桂信子〉〈一九九九年極月にふはり居り 矢島渚男〉〈戦争がはじまる野菊たちの前 矢島渚男〉を鑑賞しています。

「俳句は瞬間を詠う詩です。その瞬間には、作句に至るまでの作者が生きてきた過程、生き方、さらには境遇や時代が反映されています。その時代や人生をさまざまな角度から鑑賞していくとき、十七音に湛えられた豊かな言葉の世界が現出していきます。前〈NHK俳句〉撰者の著者が名句205句を丹念に読み解きます」と帯で紹介されています。

三章の構成になっています。
〈第1章生と死のはざまで〉〈第2章 復興の道のり〉〈第3章 来し方行く末〉、それぞれ重いテーマですが、作家ひとりひとりの人生に寄り添う鑑賞に読み応えがあります。
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by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2012-08-23 15:15

『荒凡夫 一茶』

荒凡夫 一茶      金子兜太   白水社 2000円

ブルーの帯に「芭蕉に冷淡、蕪村は相手にせず、とことん一茶を追い続けた巨匠が、自由人としての魅力を語りつくす」「青年期から一貫して自分を支配していたのは“自由人”への憧れでした。なかでも一茶の故郷・柏原と私の故郷・秩父が上武甲信の山続きであることが、よけいに親しみと懐かしさを呼び寄せました。そこでますます病みつきになったのです。山というものは、案外奥深いのです。━あとがき━より」と銘打ってあります。

昭和20年トラック島で敗戦・米軍の捕虜・帰国、ここまでの経緯は『わが戦後俳句史』岩波新書(1985年)に。帰国後まもなく、二人の先輩と秩父山中に入ることによって戦争体験が浄化され、「私は自然児と言われるほどに自然体で、ありのままで生きられる人間なのかな」とおのれをマッピングします。井上ひさし・小沢昭一・山田洋次を視座に置きつつ、人にも社会にも定番はなく「人間は流れている」と述べます。また、それは、無常、人間の世界は定めなきものといった詠嘆的なものではないとも述べています。『種田山頭火―漂白の俳人』(1974年)『小林一茶―〈漂鳥〉の俳人』(1980年)などを執筆しつつ、一茶との魂の交流を深めてゆきます。

「菰」の捉え方の違いから、一茶と芭蕉の精神性の違いをあざやかに浮かびあがらせているところなどに読み応えがあります。

本書には「荒凡夫」「生きもの感覚」「原郷」「定住漂白」「ふたりごころ」をはじめとした金子兜太哲学用語が多数ありますが、これらのキーワードの解説が魅力的です。

「私が子どものときに秩父で体験し、体に沁み込まされてしまった本当の人間と思えるような野生の人たちとともにある五七調の俳句を、私は〈民族詩〉と申します。」と欧米で俳句を学ぼうとしている人に解説しています。

「一方、子規についてはもっと調べてみたい思いがあります。一茶の影響を受けたはずの〈自由人〉子規の姿を、私自身の目で見極めてみたいのです。最後にこの思いを告白しておきましょう。」と締めくくっています。

戦時中、グラマンの機銃掃射を受け、すぐそばにいる人が亡くなるなどの過酷な体験をしています。命拾いした夜にだけ、秩父の山景が天井に浮かびあがったといいます。秩父郡皆野町の村社・椋神社を拝んで出征し、千人針の中に村社のお守りが縫いつけてあったそうです。「だから俺はいのち運が強い。守られているんだ」と述懐しています。90歳で顔面神経痛、91歳で類天疱瘡、92歳で初期癌、手術成功、その後に『荒凡夫 一茶』を刊行しました。戦後すぐに「自分がやることには村社がついていてくださる、だから成功か不成功は別として、倒れることはないだろう」と人生を踏みだしたと述べていますが、今も変わらず秩父の産土神に守られて生きていることを確信させてくれるのが本書です。
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by m4s1o3u6e2n9t1n7y | 2012-08-09 10:18